先日、現役を引退した城彰二さんのインタビューに立ち会いました。その席で城さんは「イメージが形作られるとそれを払拭するのが難しい。自分はそれで苦しんだ」と語っていました。
何気ない会話の中での一言ですが、この言葉が僕の心にずっと響いています。
プロサッカー選手、城彰二は華々しい活躍でJリーグの草創期から日本サッカーを牽引してきました。Jリーグブーム絶頂の94年にデビューした城は、第1節から先発出場を果たし、ルーキーながらいきなり4試合連続ゴールを決め、次代の日本代表FWともてはやされました。
その後も順調にステップアップし、96年のアトランタ五輪ではブラジル相手に勝利をおさめ、その勢いでA代表にも抜擢。フランスW杯アジア最終予選の最終決戦、ジョホールバルでのイラン戦ではカズに代わって投入され日本代表を初のW杯へ導きました。翌年98年に日本のエースとしてフランスの地を踏んだ時、城はキャリアの絶頂にいました。しかし彼の人生はここから大きく崩れていきます。
W杯でノーゴールに終わった城はフランスでの戦犯にされ、成田空港でサポーターに水を掛けられてしまいます。失意の城はさらなる挑戦の場としてスペインを選びます。しかしシーズンを通して満足いく結果を残せず、帰国を余儀なくされます。
「もっとスペインで勝負したかった」という思いはJリーグでのモチベーションを低下させ、一時は自暴自棄になったと言います。気持ちが入らないプレーを繰り返し、A代表は遠い存在となってしまいました。
ようやく気持ちを切り替えゼロからのスタートとして選んだのがJ2で最下位に沈んでいた横浜FC。プロ意識を植え付け、積極的に自分の経験を伝えた城でしたが、成績は好転せず、2006年初め、ついに引退を決意。最後のシーズンとして臨んだ城はボロボロの体に鞭を打ち、チームをJ1昇格へと導きました。
城が「苦しんだ」というのはフランスW杯でのノーゴールと、スペインからの帰国。この2つの出来事が多くの誤解を生んでしまったということでしょう。
今から振り返れば期待が必要以上に大きかったからかもしれません。城に実力がなかったわけではありません。初めてのW杯でゴールがポンポンと入るほどW杯は甘い舞台ではありません。日本チーム自体に戦える力がなかったのです。さらにスペインからの帰国は契約上の問題が障害となっただけで、スムーズに進んでいればもっとチャンスは広がるはずでした。
しかし人々の目はどちらも冷ややかなものでした。
「エースなんて名ばかり」「尻尾を巻いて逃げてきた」などなど。
城は一度張られた負のレッテルを最後の最後まで払拭することはできませんでした。もちろん今は違いますが。
そんなことを考えながら宮城県知事選挙を見ていたのですが、こちらは見事にイメージを払拭しました。「そのまんま東」さんは紛う方なきお笑い芸人で、芸歴は30年にのぼります。前科者で離婚もしていることからイメージはマイナスからの出発だったはず。誰もが「無謀な挑戦」だと思ったでしょう。しかし開票開始3分後には“当選確実”の文字がテレビに踊りました。
この勝利に関しては多くの専門家が論じているのでここでは避けますが、勝因の一つにメディアを上手く使ったイメージの再構築があったのではないかと思います。選挙活動中に応援に駆けつけた芸能人を「選挙活動にタレントは使わない」と突っぱねたのが話題となり、ジャージ姿でのマラソン遊説もテレビ画面に映し出されました。それに呼応するように「東さんは楽屋で猛勉強していた」という司会者の言葉が耳に入るようになり、ついには宮崎県のために離婚までして出馬したという心意気まで紹介されました。ここまでイメージアップを図れれば、もはや当選は確実でしょう。
そのまんま東さんは、選挙までの努力や過程を自分の意図しなった最高の形でアピールできたことで結果を出すことができました。
果たして城彰二さんはどうだったのでしょうか。僕はそのまんま東さん同様、最高の形でイメージアップを図れていると思います。努力や過程は評価されないプロ社会にあり、結果を出せないことで苦しみ抜いた過去があったかもしれませんが、今、城さんは、メディアに出ることによって急激にイメージアップしています。それは屈辱にまみれながらも結果を出すために全身全霊を掛けたが故に紡がれた経験と、そこから滲み出ている人間性のせいだと僕は個人的に思っています。
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