春の選抜高校野球で静岡県の常葉菊川高校が優勝した。
私は静岡出身で中学時代は野球部に所属していたので、この快挙がどれほどの価値があるかよくわかる。高校の強豪校と言えば、何十年も前から浜松商で、29年前の同校の選抜優勝を唯一の誇りとして記憶している人は多い。夏の甲子園では毎回のように2回戦か3回戦止まりで、ベスト8にまで行こうものなら、ちょっとみんなでツアーでも組もうか、なんて気分になる。比較的温暖な気候で友好的な県民性もあり、スポーツ分野におけるハングリー精神が生まれにくい土壌にあるため、若年層からヒエラルキー的に育成してきたサッカー並の期待を掛けてはいない。だからこそ、今回の優勝は正直意外だった。
常葉菊川は私の中学の近くではあるが、私立のため学年で2、3人程度しか入学していなかった(静岡は公立高校に行くのが一般的)。1人だけ強烈に記憶しているのは、打率5割近く打つ下級生が野球をやるために入学したことがある。すでに80年代後半には野球に力を入れていたのだろう。それでも全国優勝を目指すのは論外な目標で、せめて県ベスト4が関の山。当時は自校の認知度を上げることに主眼がおかれていたのは間違いない。
その常葉菊川が、高校野球の常識を覆すやり方で日本一に輝いた。それがバントをしない野球。
バント。それは日本人の美学に合致した野球戦術だ。自らは1塁でアウトとなる代わりに、味方を1つ進塁させる。それが直接得点となる場合があれば、チャンスを広げる役割も果たす。肉を切らせて骨を断つ精神であり、自らを殺して仲間を生かす犠牲の精神でもある。それゆえ堅実にバントを遂行する選手を「職人」として礼賛する風潮すらある。
バントはこれまで高校野球では代名詞的な扱いをされていた。1番バッターが出塁したら、2番バッターは確実にバントで送り、1アウト2塁とし、1打得点のチャンスというのが高校野球のセオリーだった。そんな犠牲バントを徹底することで、社会人として羽ばたく前に、組織の中で生きていく心得を学ばせる狙いも少なからず含まれているように思う。「バントができる選手こそすばらしいんだ」という声が夕暮れのグラウンドに響いているような気がしてならない。
それを無視したやり方は勝敗を度外視した博打的な野球に思えるが、常葉菊川の森下監督は独自の理論を語る。「バントの意識をなくすことで迷いなく打てる」。1球ごとにベンチを見てサインを確認することに神経を使わず、ヒッティング・オンリーという作戦の単純化で選手はバッティングに集中できた。その結果、常葉菊川のバッティングは冴えに冴えた。準決勝では最終回に3点を入れて6-4で逆転勝ちし、決勝も8回裏に2点を入れて6-5で逆転勝ちしている。バントをしないことは確実に塁を進める手堅い作戦とは真逆にある強攻策で、これが選手たちの積極性につながったと言えるだろう。他にも常葉菊川には敬遠はしないとか、良い球が来たら初球からでも打つなど、これまでの高校野球の常識を覆す戦術が多々あった。
そう言えば、今季のプロ野球、巨人では斬新な打順が話題を呼んでいる。それは高橋由を1番バッターに、谷を2番バッターに起用していることだ。これまでの野球の常識は、1番は出塁率が高い俊足のバッターで、2番は打率が多少低くても犠打を確実に遂行できる選手が入っていた。さらに1番も2番もともに選球眼が良く、際どいボールをカットしながら相手ピッチャーの投球数を増やす役割もあった。しかし高橋由、谷はどうだろう。ともにパンチ力のある強打者で、良い球が来たら初球からでもかっ飛ばすタイプの選手だ。半世紀以上にも及ぶ野球の統計学から言っても、この2人の打順は不適切だと非難されてもおかしくない。
しかし2人の調子はすこぶるいい。開幕戦の初球にいきなり高橋由はホームランを打ち、谷もヒットで続いた。この打順が奏功し、4月14日現在、セリーグのチーム打率で巨人は1位、順位も2位につけている。この旧来の野球観を覆す打順を目の当たりにした対戦したチームは、巨人への警戒感をより一層強め始めた。
野球の本場メジャーリーグでは数年前から野球観を変えるようなチームが現れ、すでにこれまでの常識を見直す動きが出ている。
メジャーリーグでは、多額の移籍金や年俸で話題となった松坂大輔のように、お金をかけて選手を補強するチームが基本的に上位に食い込んできた。成績の良い個の集積が勝利への近道と考えるのは自然な考え方だ。実際、ニューヨーク・ヤンキースは毎年100億円以上のお金を選手の年俸に充てており、頂点に立てなくてもそれなりの好成績を残してきた。しかし、そこにメジャーリーグの常識を覆すチームが現れた。
それがオークランド・アスレチックス。2002年、年俸総額でヤンキースの4分の1にあたる4000万ドルのアスレチックスが、103勝59敗でアメリカンリーグ西地区で優勝してしまった。さらに翌2003年、2006年も優勝を果たしている。西地区と言えば、イチローがいるシアトル・マリナーズも所属しているが、ご存知の通りここ数年一度も優勝していない。ちなみに2001年にアスレチックスは102勝を記録しているが、当時の平均年俸はなんとメジャー30チーム中29位だった。いったいどうしてこんな現象が起きたのか。
監督の手腕が素晴らしいからか、機動力が抜群によく出塁したらとにかく盗塁しまくるチームからか、鉄壁の守備を誇るからか、投手だけに力を注いでいるからか、球場に秘密があるからか・・・。どんな推測も当てはまらない。答えは特殊なデータ分析による選手のスカウティングにある。
アスレチックスはたとえばこんな選手をドラフトで獲得している。異様なフォームで他球団のスカウトたちが一笑に付したデイビッド・ベックという投手。彼の直球は135kmだったが、アスレチックスがドラフトで指名。獲得後、彼はルーキーリーグに登板して防御率1.00を記録。登板のたびに相手の打線を押さえ込み、ルーキーリーグのオールスター戦でクローザーに選ばれた。
また奇抜なフォームで142kmの直球しか投げられないカーク・サールースという投手。彼はマイナーリーグで着実に成績を残し、翌年メジャー入りを果たした。実は同じ年にドラフトでプロ入りした全選手の中でメジャー入り出来た選手はたった2人だけだったが、その一人がカーク・サールースだった。
他球団のスカウトマンから「足の遅い太った三塁手」と酷評されていたケビン・ユーキリスに関しては、抜群の選球眼でバリー・ボンズに次ぐ出塁率を記録した。
その影には伝説的なGMビリー・ビーンの存在があった。「野球経験のあるスカウトマンは自分の経験と照らし合わそうとし、目で見た内容を重視しすぎる。実は偏見と錯覚が多く含まれている」。そう感じたビリーは独自のデータ分析で選手を評価。打者であれば出塁率、投手であれば防御率を最重要ポイントにおいた。得点とバントの相関関係から、守備力がチームに及ぼす影響まで徹底的に数値化し、データ重視のスカウティングを行った。
元々潤沢な資金がないところからの出発だったため、知恵を絞った結果のスカウティング方法だったのかもしれないが、旧態依然の野球界にはびこる常識をもう一度見直し、新たな方向性を見い出したという意味でビリー・ビーンの功績は計り知れない。
常葉菊川といい、巨人といい、アスレチックスといい、野球界でいくつもの常識外れの思考で好成績を残している事実を知ると、サッカーに関しても大きな可能性を感じる。実際、昨年の冬の選手権大会で優勝した野洲高校のサッカーは、長年高校サッカーを見続けてきたものに衝撃を与えた。
高校サッカーと言えば、止める、蹴る、走るを正確にそして忠実にこなすイメージが強い。それは長きに渡り強豪校として君臨してきた国見高校のイメージと合致する。1日も休みなく練習し、毎日数キロをランニングし、週末はひたすら練習試合をこなす。その結果、強靭な肉体とともに礼儀正しい立派な一人の大人に成長していく。だが、野洲高校は違った。
山本桂司監督は元々レスリングの選手で、ドイツ留学時にサッカーに魅せられてコーチライセンスを取得した異色の経歴。そんな監督だからこそ、サッカーの枠に囚われない独自の理論を持つことができた。監督自らが「高校サッカーを変える」と公言し、“セクシーフットボール”を合言葉に、“魅せるサッカー”を目指した。基本中の基本であるインサイドパスやインステップキックのような読まれやすいキックは控え、ヒールパス、アウトサイドパスを多用。ボールタッチ一つひとつに絶妙な味付けを施すように指導し、ロングパスやパワープレーで勝ち切るサッカーを良しとしなかった。その結果、青木孝太や乾貴士ら独特のリズムを持った選手を輩出している。
近年のJリーグではどうか。各チームが目指すサッカーというのは実は非常に似通っている。前線からプレスを掛け奪ったら素早く前線へつなぐ、攻守の切り替えを素早く行う、サイドを有効に使うなど、点を取るための方程式はほぼ同じで、後は個の能力を考慮した人の配置と個のパワーが勝敗を決めている。ユニフォームを着替えさせ、顔にぼかしでも入れたら、どこのチームが試合をしているのか、判別できないかもしれない。
こんな時だからこそ、非常識なサッカーを見てみたい。1バックや4トップなどのシステム的な非常識でも、中央突破を最優先ポイントとしボールサイドに人を集中させる戦術的な非常識でも、ボールテクニックに長けた選手を優先的に並べる人材的な非常識でもいい。とにかく常識だと思われているところを徹底的に見直してほしい。きっとそこにチャンスが広がっているはずだ。
闘莉王をFWにして、巻をDFにするなんてことを、一度でいいから試してみたら、とつい思ってしまう。
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