ここ近年では最も寒さの厳しい試合だった。気温はわずか2℃。雪が直接あたる場所にいた人の体感温度は、おそらくマイナスになっていただろう。長年代表を見続けているベテラン記者たちも雪の降る中での代表戦は記憶にないとブルッていた。
それにしてもワールドカップ予選初戦だと言うのに、誤算の多い試合だった。
まずはタイに対する情報不足があった。岡田監督は年末にタイで行われたキングスカップを視察している。タイは地の利を生かした面も否めないが、アジアカップ覇者、イラクに二連勝するなど、仕上がり具合の良さを見せていた。岡田監督は数試合を観戦し、その実力をつぶさに分析している。おおよその戦い方を把握し、タイは日本に対して引いて守ってくるという想定をした。
しかしその後は情報が錯綜。韓国合宿で全北現代に快勝したのを知ると、「どうやら前からプレスをかけてくるらしい」と対策の練り直しを行った。
結局、試合前日のミーティングでもタイの出方を絞りきれず、「試合に入ってから対応しようと言われた」と駒野は語っている。
試合はご存知のようにどん引きのタイを攻めあぐねたわけだが、先制直後の失点もまた誤算のひとつだった。あのシーンは明らかに集中力を欠いていた。スタンドから見ていて、その様子が手に取るようにわかった。まずタイがキックオフしても、日本の選手は相手を捕まえようとしなかった。ドリブルしてきた十番に慌て中村が寄せたが、ボールを出され、バイタルエリアで簡単に前を向かれていた。ミドルシュートはラッキーパンチではあったが、それまでのお粗末な守備を見たら自業自得と言わざるを得ない。
「自分自身が甘かった」と岡田監督は語ったが、明らかにこの失点のことを言っていた。この辺の怖さこそが、ワールドカップ予選だと改めて思い知らされていたようだった。
そしてこれはうれしい誤算でもあるのだが、タイの実力が、事前情報よりも格段に劣っていた。岡田監督はこの三次予選で一番の難敵だと語ることもあった。相手を尊重するという意味も、油断させないという意味もあったと思うが、結果的に必要以上の警戒心だった。4対1というスコアは実力から言っても妥当な結果だっただろう。
またタイだが、後半はプレーに雑な面が見られた。献身的に走り、組織的にプレーできるチームのはずだったが、逆転されてからは苛立ちを抑えきれなかったようだ。イエローカードも増え、悪質なファールもあった。試合後、敗者に拍手を贈るような気持ちにはなかなかなれなかった。
オシム前監督が言っていたように、その場の状況に応じて対応しなければならないことは承知の上だが、今回の試合に関しては、事前情報の混乱や、集中力の欠如など、ベースにあたる部分に問題があったように思う。細かいプレーの課題を挙げたらキリがないが、まずは闘う前の周到な準備とメンタルの部分の向上が必須だろう。
余談だが、鈴木啓太がミックスゾーンを素通りしたのもまた、誤算だった。どうしてなの?啓太くん。いつもは最後までいてくれるのに。
オシム監督が今日、急性期脳梗塞で倒れ、病院に搬送された。奇しくも10年前の今日11月16日、ジョホールバルで日本代表は初めてワールドカップ出場を決めた。日本中が涙したその歴史的日に今年、川淵三郎キャプテンを初め多くのファンが悲しみの涙を流した。かくいう私も涙があふれた。Jリーグ開幕以降の代表監督でオシム監督を最も敬愛し、多大なる期待を寄せていただけに、この緊急事態を聞き、全身に電流が走ったような衝撃を受けた。
偶然にも私はこの会見に出席していた。今日の会見はまったく予定に入っていなかった。14:30。所用でJFAハウス内のグッズショップに行った。そのついでにメディアルームに立ち寄る予定だった。去年までは週1で訪れていたが、JFAハウス内に入るのは実に7ヶ月ぶりだ。
入口に入ると見慣れたJFAのスタッフから「こちらに記帳してください」と声を掛けられ、記者会見があることを初めて知った。せっかく来たのだからと思い、名前を書いて記者会見場に入った。
ただその記者会見は来月行われるクラブワールドカップの概要について。15:00よりFIFAのオフィサーを初め、川淵キャプテン、小倉FIFA理事、レッズ藤口社長、オジェック監督、山田暢久選手が出席していた。出場チームの紹介と今大会から導入される「ゴールラインテクノロジー」の説明、そしてレッズへの表彰が主な内容だった。時間にして45分ぐらいか。
会見が終了し、会場の外に出てプレスカードを置こうとすると、JFAのスタッフからニュースリリースを渡され、そのまま上階の会見場に行くよう指示された。そのリリースの表題には「緊急記者会見を開催」と書かれていて、急いでコピーしたのか、上部の文字がA4用紙からはみ出していた。
時間は16:30より、出席者は川淵キャプテンと田島専務理事の2人。しかし内容は一切書かれていない。しかも会見場のひな壇の後ろには代表関連のスポンサーボードも置いていない。ただならぬ雰囲気を誰しも感じ取っていた。いったい何があったのか。根拠のない憶測が飛んでいた。報道陣がそわそわし始めている。会見スタートが17:00に伸びた。尋常ではない胸騒ぎがした。
すると何人かの記者があわてて携帯電話を鳴らし始めた。「脳梗塞で倒れたらしい」「病院に搬送された」「カメラをそっちへまわせ」。鬼気迫る勢いで掛けまくっている。一体誰が倒れたんだ!? 近くの記者に慌てて聞いた。「オシムさんが倒れたらしい」。耳を疑った。ACL決勝で元気な姿を見せていたはずだ。顔色も良かった。倒れたなんて、そんなはずはない。私も震える手で次の約束相手に電話した。落ち着いて話すつもりだったが、声がうわずっているのが、自分でもわかった。「オシムさんが倒れたらしいから、打ち合わせの時間を30分遅らせてほしい」。それだけ言って席に戻った。すぐに川淵さんが現れた。
16:50。予定より早く始まった。「残念なお知らせがあります」。ここで川淵さんは絶句した。ことの重大性を初めて認識した。もう望みは消えたのか。震える声で続けた。「オシム監督が本日2時、自宅でプレミアリーグを見た後、二階に上がる時に倒れ、病院に搬送されました。急性期脳梗塞と診断されました。現在のところ、症状は不安定です」。カメラのシャッター音がやけに大きく聞こえた。そして「オシム監督に是非治ってほしい」と続けると、川淵さんは唇を振るわせ、涙が溢れた。「命を取り留めてほしい・・・、と願っています」。この言葉で私のペンの筆圧も上がっていた。サッカーの取材を始めて10年になるが、書き取っている途中で涙することなど初めてだった。
オシム監督はユーゴスラビア紛争で深い悲しみを心に負っている。代表監督を辞し、無惨な殺し合いに抗議の姿勢を見せた。しかし悲劇は何年も続き家族を紛争のど真ん中に置き去りにしてしまった。「私には負債がある」。多くの人たちを助けられなかった無力感を感じ、その責任を背負い込んでいた。
その紛争も終わりを告げ、ようやく政治的圧力がなく、純粋にサッカーが打ち込める安住の地を見つけた。思う存分、自分でチームを作り上げる土壌が日本にはあった。時折見せるユーモアたっぷりの笑顔はきっと心からの幸福感から出てくるものだと思っていた。彼の過去を知る者は誰しもあの笑顔に幸せを感じることができたはずだ。
会見からの帰り。既知の記者とは無言が続いた。新監督をあれこれ予想する気なんてさらさら起こらなかった。自分にできることは何なのか。きっと隣に座る記者も自問自答していたことだろう。今できることは祈ることだけなのか。U-22代表が勝つことでオシム監督を勇気づけるとか、恩に報いるために勝つとか、そんな目に見える美談はいらない。そんなものは自分たちの力で勝ち取ればいいのだ。
「オシム監督、まだあなたがやるべきことは沢山残っています。そしてあなたを必要とする人が沢山います。あなたはまだ道の途中にいるのです」
あたなはまだ生き続けなければならないのです。
亀田大毅がチャンピオン内藤大助に完敗した。
「負けたら切腹する」、「内藤はゴキブリ」と散々悪態をつき、チャンピオンを挑発し続けた。しかし試合では予想外の点差に常軌を逸し、およそボクシングとは思えないプロレス技まで飛び出した。勝者を讃えることなく足早に帰る亀田家に対し、会場内のファンは「切腹」コールでののしった。ボクシングには試合前の挑発や舌戦は日常的とは言え、今回の一連の言動で多くのファンを敵に回し、完全にヒールとしてのイメージを定着させた。
同じプロスポーツとして、サッカーはどうだろう。ことサッカー界に関しては、選手の数も多い分、たくさんのヒール、いわゆる “悪童”が存在する。フランス人でマンチェスター・Uで活躍したカントナや、ブラジル代表のロマーリオ、アルゼンチン代表のマラドーナなどがその代表格だ。
カントナは、テクニック、突破力、イマジネーションとどれも超一流だったが、その素行の悪さも超一流として有名だった。監督批判や選手批判はもちろん、試合中、自分を罵倒したサポーターに向かって跳び蹴りを食らわし(カンフーキックと称される)、4ヶ月の社会奉仕活動と約1年間の出場停止を課せられたこともある。ロマーリオは、94年のアメリカW杯で同僚を批判し代表を辞退するなど、歯に衣着せぬ言動を繰り返し、監督やチームメイトとのトラブルは後を絶たなかった。マラドーナは、かの有名な「神の手」ゴールやドーピング違反、果てはコカイン使用など、いわゆる犯罪行為にまで及んでいる。
現役選手で言うと、やはりイングランド代表のルーニーがナンバーワンだろう。14才までボクサーをやっていただけあり、気性が荒く、負けん気が強い。胸板が厚く、腕力も相当なもの。プレーが荒々しく、ラフプレーでの退場が多い。さらに審判への暴言も多く、レッドカードに怒りを露わにし、放送禁止用語がお茶の間に流れたこともあった。
そして最近印象に残っている選手と言えば、イタリア代表のマテラッツィ。試合中、ボールがないところでの肘打ちは常習的で、後方からの両足タックルも平然とやってのけてしまう。その異名は「つぶし屋」。ドイツW杯でのジダンへの暴言は、もはや説明する必要もないだろう。
この“悪童”と言われるサッカー選手に共通するのが、ナイフのような鋭利さ。安定感のあるプレーからはほど遠く、刹那主義的プレー、すなわちその一瞬に強烈な光を放つプレーを得意とする。ゴール前での爆発的なスピードや、相手を手玉にとって次々抜くドリブル、両足根こそぎ持って行くような鋭利なタックルなど、記憶に焼き付くプレーが多い。
ルーニーは、右足での豪快なカーブシュートでプレミアシップ最年少ゴール記録を塗り替えたし、マラドーナはW杯イングランド戦で五人抜きのドリブルをやりとげた。ロマーリオはアメリカW杯で圧倒的な得点能力を見せつけ、マテラッツィはジダン最後の試合で退場に追い込んだ張本人。それぞれ形はどうあれ、いずれもインパクトは強烈だ。
ただ“悪童”は生きにくい。中途半端な実力しかもたない悪童は、同等レベルのプレーヤーがいれば、回りから敬遠され、淘汰されていく運命にあるからだ。しかしそこを突き抜け唯一無二の実力を持った悪童は、確固たる地位を築き上げ、叩かれても蘇り、いつしか伝説となる。
亀田大毅は今回の試合で、そのヒールぶりを遺憾なく発揮した。しかしサッカーでは、「悪童」とののしられ、各協会から厳しい制裁を受けようと、謹慎期間を経て再び表舞台に登場し、それまでの批難を沈黙させるだけのプレーを見せつけ、ある者は伝説にまで上り詰めている。
亀田大毅に実力が伴っているのならば、再び彼は戻ってくるだろう。もしこれで腐るようなことがあれば、本当のヒールとして、この社会から淘汰される運命にある。
最近は代表関連の試合が目白押しだ。A代表はオーストリア遠征、五輪代表はアジア地区最終予選、なでしこジャパンは女子W杯に臨んでいる。それぞれ見所はあるが、9月11日、12日の2日間で前出の3代表がともに見事な戦いを見せた。A代表はスイスに後半ロスタイムのラストプレーで逆転勝利。五輪代表は勝ち点で並ぶカタールをホームで下し、なでしこジャパンは初戦イングランド戦をこちらも後半ロスタイム、ラストプレーの劇的なFKで、値千金の勝ち点1を手にした。
興奮の展開と及第点の結果で、つい安堵感を抱いてしまうが、問題点がなかったわけではない。特に男子に物足りない点が目立った。それはともに前半の戦い方に現れていた。それは「責任」の所在がはっきりしないサッカーを展開してしまっていること。ここで言う「責任」とは、オシム監督が口を酸っぱく言っている、「日本人に足りない点」である。
A代表vsスイス戦、五輪代表vsカタール戦とも前半は「責任」逃れのようなパスばかりが目立った。サッカーにおいて「責任」の所在が最も簡単に判別できるのが、シュートが外れた時、ドリブルをとられた時、パスをカットされた時だ。誰がミスしたか一目瞭然。チームメイトにはもちろん、サポーターからもブーイングを浴びる。でもそんな屈辱を味合わない方法がある。それは安全に味方にパスを通すこと、詰まって取られそうになったら逃げるドリブルをすること、大きく蹴り出すことだ。そうすることで、ボールをキープできる。それはあたかもゲームを支配しているようにさえ見える。しかしこれはパス達者の日本が陥りやすいアリバイ作りのためのサッカーだ。つまり、「負けたけどキープできたでしょ」、「課題はフィニッシュの精度かな」などの前向きなコメントを試合後の感想に持たせるためのサッカーということだ。
だが、そこに感動は生まれるだろうか。一つひとつのプレーに「責任」をとらない限り感動を与えることはできないだろう。最も批難されるべきは、パスをカットされることでも、ドリブル勝負に敗れることでもない。それは勝負をしないことだ。シュートが入る可能性が30%ある、クロスを上げる隙間がボール1個分ある、体勢が悪くても決定的なスペースが一瞬見えた。そんな時に勝負を仕掛けてほしい。その姿勢、そのチャレンジ精神こそ、最も評価される風潮をチーム内で作り出してほしい。ブーイングの対象になったとしても、その重圧を背負い込んで再びチャレンジすることこそ、もっとも価値あることであり、最も崇高な「責任」の取り方なのだと思う。
後半A代表はオシムに発破を掛けられ次々チャレンジ&エラーを繰り返し逆転勝利に結びつけた。五輪代表は1人退場し10人になったことで「ミスできない」という背水の状態から緊迫度が増し、「責任」あるプレーが随所に見えた。結果的に素晴らしい試合になった。
翻ってなでしこジャパンだが、以上に挙げた「責任」については何も言うことはない。誰一人さぼることなく、愚直なまでに前を向き、体格で一回り大きいイングランドに全く臆することなく立ち向かっていった。責任ある行動は人々の感動を呼ぶ。責任を背負ったなでしこ達に女神はちゃんと微笑んでくれた。
記録的な猛暑により関東地方の需要電力が供給可能電力を上回る可能性が高く、塩原水力発電を午後1時から臨時稼働させた8月22日。国立競技場で北京五輪を駆けたアジア最終予選がスタートした。
第1戦の相手はアジアカップで決勝トーナメント進出を果たす快挙を成し遂げたベトナム。A代表に11人のU−22代表が名を連ねたベトナムと、日本A代表がアジアカップで対戦したこともあり、分析と対策は容易だったはずだ。
戦いは大方の予想通り、日本が一方的に攻めた。しかし終わってみれば結局1対0の薄氷勝利。拙攻、パスミス、連携ミス、決定力不足など、多すぎる課題が見え、不安が増大するばかりだった。
前回のアテネ五輪予選では、ダブルセントラル方式が採用され、UAEと日本での2つのラウンドの短期決戦で行われた。UAEラウンドでメンバーの大半が体調を崩すハプニングがあったが、日本ラウンドでケガから復帰した大久保、阿部の活躍もあり、五輪行きの切符を手にした。
今回の最終予選の利点は、完全ホーム&アウェイ方式のため、ケガ人(伊野波、西川ら)の復帰を期待できる利点がある。日本にはタレントが豊富なので、その都度最高のメンバーで臨むことができる。
また課題を修正し、相手を分析・対策を練る時間をとることもできる。スカウティング能力に優れた日本にとっては有利に働くのは間違いない。
しかし不安が拭い切れないのはどうしてだろうか。それはベトナム戦で露呈した課題もさることながら、課題を克服できるだけの伸びしろが感じられないからだ。特に攻撃陣は頼りない。
平山はF東京で出場機会が激減し、試合勘が明らかに鈍っている。回りの状況を把握した最適な選択ができず、トラップミス、パスミスも多すぎる。最終予選のギリギリの戦いにも関わらず、ゴール前のビッグチャンスでボールを抱えるようなハンドを犯し、観客の失笑を買うなど前代未聞の天然ぶりを発揮した。安定感のないポストプレーといい、決定力のなさといい、ストライカー失格の烙印を押されても仕方ない出来だった。
さらに左サイドの本田圭に攻撃の迫力がなく、トップ下のポジションもファーストチョイスがいない。システムも盤石のものはなく、3バックや4バックを併用。よく言えば臨機応変、悪く言えば行き当たりばったりの守備となっている。
今後期待できる戦力として、カレン・ロバート、森島康仁、梅崎司、菅沼実、森本貴幸が挙げられるが、いずれも突き抜けた力はない。
正直言って、東京電力が塩原水力発電を臨時稼働したような措置が、今のU−22世代ではできない。つまり戦力を臨時増強してパワーアップさせる余剰分がほとんどないのだ。日本の持つ最大限のポテンシャルを今後発揮したとしても、それを相手が上回る可能性がある時、日本はその力の差を補う措置がとれないだろう。
ここで断言できるのは、ベトナム戦から日本が進歩しなければ、アジアで確実に敗れ去ることになる。
台風が近づきJ2のいくつかの試合が延期された。今回の台風は崖崩れや河川の氾濫で死者が多数でるなど、各地で猛威をふるっている。そんな台風がナビスコカップ、F東京vs横浜FMでどう影響するのか、ただならぬ嵐の予感を感じていた。
ただ大雨の中、スタジアムまでの道を歩いていると、一台の選挙カーが通り、そんな試合への高ぶりを一斉に消去されてしまった。
「ドクター・ナカマツ♪、ドクター・ナカマツ♪、ドクター・ナカマツ♪〜」
コミカルなメロディに乗って連呼されるドクター中松の名前。おまけに「あなたの幸せを100倍にします」とまでメロディアスに歌いきった。マニュフェストが政治家の政策方針となり、達成責任まで問われる世の中で、「幸せ100倍」などあまりにも漠然としているが、やはりそこがドクター中松なのか。この歌を聞き、試合への緊迫感が一気に吹き飛び、拍子抜けしてスタジアムのゲートをくぐった。
試合はそんな気持ちが反映されてしまったのか、拍子抜けしたものになってしまった。第1戦を0-1で負けている横浜FMは当然のように先制点を取りに積極的に前に出てきた。雨のピッチを考慮して素早く前線へボールを入れるシンプルな戦術。F東京も実質同じ戦術だったが、ボールへの気迫が違ったようだ。特にリチェーリの緩慢な動きが目立ち、横浜FMの左サイドの小宮山がボールを奪い、そこが攻撃の始点になっていた。前半19分に山瀬が先制すると、後半3分に大島が加点。ここから横浜FMが前掛かりのF東京の隙を突き+2得点。試合を決めてしまった。終盤F東京が反撃して2点を返すものの、同点に追いつく時間はなかった。
台風の影響も心配したが、それはほとんど感じなかった。ピッチはスリッピーだったが、ボールが止まってしまうことはなく、逆に球足が速く、ゴールまでのパス回しは非常にスムーズだった。
やっぱりこの一方的なスコアは、ドクター中松の影響なのか。「幸せ100倍」の目標のためにどんな選挙戦術を立てているのかわからないが、その目標をサッカーにたとえるなら、「ナイスゲーム100試合」ってなことか。基準値の存在しないものを目標に設定してしまったら、戦術のたてようもないが・・・。そんな選挙戦の雰囲気がF東京に伝染してしまったということはないが、何だか全体的に煮え切らない試合ことは確かだ。
6月3日、なでしこジャパンが韓国代表に6対1で圧勝した。
過去の対戦では何度か煮え湯を飲まされてきたが、ここ数年、世界の強豪国との対戦を重ねたことで、韓国に決定的な差をつけていた。
韓国の強みは激しいボールへのプレッシャーとフィジカルの強さだったが、日本は、前線からの連動したプレスでボールを追い込み、相手のボールを奪っては素早くゴール前に運ぶ、まさに相手のお株を奪うサッカーを展開した。この現代サッカーの潮流に沿った正攻法的戦術で韓国相手に次々と得点を奪っていた。日本女子代表の成熟度が改めて証明されたと言える。そんな女子代表の中心にいたのが、重鎮、澤穂希と宮本ともみだった。
澤は言わずと知れた女子サッカー界のスター選手。弱冠16才から日の丸を背負い、日本のエースとして数々の窮地を救ってきた。そして日本だけでは飽きたらず、女子サッカー先進国のアメリカに活躍の場を移し、リーグが消滅するまで第一線で活躍し続けてきた。すでに代表マッチは120試合を超え、女子としてアジア最優秀選手にも選ばれている。
この試合でも澤は期待を裏切らないプレーを随所に見せた。自分と相手の間合いをつかみ、上手くボールを流し自分の懐に入れ込む技術は圧巻で、そこから持ち前の技術とスピードで一気に局面を打開していた。その動きは、高い塀から猫が飛び降りる時のようなしなやかさと身のこなしがあり、ほぼ90分間ノーミスで戦いぬいた。
そして、もう一人の重鎮、宮本ともみだが、この日の彼女は一際輝いて見えた。日本のプレスが見事にはまったという一因もあったが、中盤の底で余裕を持ってボールを受けた彼女は、まさに日本船の舵取りをやっていた。サイドで人がつまり、ボランチの彼女のところにボールが渡ると、スタンドから見ている誰もが「逆サイド」と思う、その瞬間にサイドチャンジを送ることができていた。さらにそのキック力と精度も高く、ゲームの流れが淀むことはなかった。この間髪入れないサイドチェンジが韓国チームを徐々に苦しめていき、結果的にマークのズレが生じ、大量点へつながった。
澤が「柔」とするなら、宮本は「剛」といったところだが、日本男子には「柔」的な選手は数多く存在するが、宮本のような「剛」的な選手というと見当たらない。宮本は168cmでチームいちの長身のため、背丈から言えば、平山相太がピンと背筋を伸ばした感じで、プレーで言うと稲本潤一のようなダイナミックさを持った感じだろうか。
ただ“なでしこ”ジャパンというだけあって、文字通り、可憐さとりりしさを兼備した日本女性の風合いを持っているため、男子にたとえるのは難しい。その理由はやはり彼女がママさん選手であることも関係しているのかもしれない。
日本でママさん選手の代表的な存在と言えば、世界の谷亮子。「田村で金、谷で金、ママで金」と堂々と言いのけるその自己顕示欲は、道を究めた者のみが持つ風格が漂っている。そんな谷と比べると宮本のママっぷりはやはり“なでしこ”なんだと思う。
柔道とサッカーという競技の違いがあるとは言え、谷には勝負師としての殺気が漂う。しかし宮本にはやはり一人の母としての自分がベースにある。
この韓国戦の先制点は宮本の華麗なボレーシュートだったが、その得点後、彼女は満面の笑みでスタンドに手を振った。そこには2歳の息子が座り、家族に手を持たれ、笑顔で手を振り返したそうだ。試合後、その時の様子を喜んで話していた宮本。そんな笑顔が今の日本女子を支えている。
先日、昔の仕事仲間と昼食をとるために、待ち合わせの場所へ電車で向かった。その車中でずっと携帯電話のゲームをやっていた。有名な携帯ゲームサイト「モバゲータウン」にある「ローリング刑事」というゲームだ。これは麻薬密売組織と対峙した警官がドラム缶の間をローリングしながら拳銃をぶっ放し相手を撃ち殺すという単純なゲームだ。ギャングを撃ち殺すというゲームは至極在り来たりだが、ローリングしながらというのが非常にコミカルで操作が簡単なところも暇つぶしにピッタリだった。
最近は携帯電話をひっきりなしに見ている若者が多くて驚くことが頻繁にある。Jリーグの試合が終了して記者室へ戻る途中、ふと運営アルバイトの控え室をのぞくと、そこに座っていた7,8人の男子全員が黙って携帯電話を見ていた。多くの仲間が自分の回りにいるにも関わらず、彼らは携帯電話の向こう側にいる人と向き合っていた。
私の世代(30代)だとやはり多少不愉快に感じることもある。コミュニケーションをとる対象が近くにいるにも関わらず、携帯の向こう側にいる人とコンタクトを取ろうとすることは、自分とのコンタクトを遮断していると思えてしまうからだ。カフェでお茶しているカップルにも、携帯電話に没頭する風景を見ることがある。もし自分の彼女がそんなことをし始めたら「後にしてくれよ」と怒り出してしまいそうだが、お互いやっていたらそんな気持ちにもならないんだろう。
近年、携帯電話の加入数は日本の人口に匹敵する勢いだという。ネット接続に関してもパソコンからのアクセスと同じくらいの割合を記録しているというから、携帯電話社会がさらに加速するのは間違いない。
携帯電話がビジネス以外で一般市民に流通し始めたのは90年代初めからだが、通話以外の利便性が付加され、飛躍的な発展をとげるきっかけとなったは、「i-mode」のスタートからだろう。通話とメール以外の機能、つまり必要な情報を必要な時に取得でき、暇なときにはゲームで遊ぶことができる便利で快適な機能は、若者を中心に爆発的に広まっていった。当時の若者たちの多くは、パソコンよりも先に携帯電話によってインターネットの世界を体験したはずだ。
この「i-mode」のスタートが99年のことなので、当時その流行にどっぷりつかっていた中高生は、現在20代になっている。当然だが、彼らのインターネットへの考え方は私とは決定的に違っている。パソコンの普及とともに社会に投げ出された我々30代の仕事のやり方は、パソコンで書類を作成し、必要な情報をインターネットで探し出し、メールで関係各位に一斉に送信する。しかし、現在20代前半の若者はさらに先を行っている。彼らは情報の取得だけではなく、書類の作成すら携帯電話で難なくこなすという。現に、ある大学ではレポートを携帯電話で作成してくる学生が1割はいるそうだ。画面は小さいが場所を選ばずにできることが“忙しい”学生にとっては良いらしい。
電車の中で耳にした学生の会話だが、携帯電話を他メーカーに変えない理由を「メールが打ちにくいから」と言っていた。何でも彼女は携帯メールをブラインドタッチできるそうだ。きっと彼女はバックの中に携帯をしまったままでもメールを送れるに違いない。人と会話している時でも手だけを動かして携帯メールを打つことだってできるはずだ。携帯電話の使用を試験中に禁止するのは当たり前のことだが、机の中で携帯メールをブラインドタッチしていたとしたら・・・。考えただけでも恐ろしい。
さて、その日は元同僚との昼食の後、出版社主催のフットサル大会があったので、それに出場した。良く知る仲間が集まって月に2回ほどやっているが、日頃サッカーの取材現場で感じている選手の気持ちを実際に自分がプレーすることで確認できる貴重な時間だ。エラシコを試してみたり、ワンツーパスやポストプレーをしてみたり、無回転シュートをやってみたりと、大技、小技が出る楽しいフットサルだ。
そういえばプレーをしながら感じたことだが、サッカーに比べたらフットサルは手のひらサイズのスポーツで、パソコンと携帯電話の違いと似ているところがあるように思う。フットサルはサッカーに比べてコートは小さく、人数も少ない。ボールもゴールも小さい。でも技術力はサッカー以上に必要で、特に俊敏性、スピードが重視される。サッカーの面白みをギュッと凝縮させたようなスポーツだ。ただプレーしていて感じるのは休む暇がないこと。いつでも準備していなくてはいけないし、実際頻繁にボールがくる。コート上でのプレッシャーはサッカーの数倍肌で感じていると思う。
この感覚は、携帯電話を持っていることによって感じる感覚と非常に似ている。画面は小さく、ボタンも小さい。重たいパソコンを持ち運ぶことなくその利便性だけを凝縮。通話ができメールもでき、情報を取得し、暇なときは遊び道具にもなる。しかし電話やメールをしてくる相手は、送り先がすぐに出たり見たりすることを想定しているため、受け手は常に気に掛けていなくてはならず、持っているだけでプレッシャーを感じるものだ。
ただ両者の決定的な違いは時間の考え方だろう。フットサルはスポーツだから、時間の制限がある。20分ハーフの40分間。ただ非常に疲れる。最後方の選手はまだしも、前線の選手はダイレクトかツータッチのプレーがほとんど。一瞬でも気を抜けば相手にボールを奪われ逆襲を食らってしまう。コートが狭いために、攻守の切り替えが遅ければ、即失点につながってしまう。サッカーの90分間に比べて極端に短いように感じるが、常に相手のプレッシャーを感じ、休む暇がないほどコートを駆けずり回らなくてはならないため、体力的にも、精神的にも長時間もたないのだ。
そして携帯電話だが、こちらのプレー時間は無制限だ。確かに携帯電話を持つことによって得る便利さもあるが、その対極にあるプレッシャーや不安も同時に発生する。昼間は取引先からの電話が、夕方になれば家族からの電話が、機械の不具合が出た場合は24時間いつでもメールが入る設定にしている人もいるだろう。フットサルのように時間的な制約を設けることは精神衛生上、非常に大事なことで、日々のストレスを軽減させるためには、ある一定時間プレッシャーから完全に開放させる必要がある。個人的には、一日の携帯電話の使用時間を制限させる運動を起こしたいところだが、そんなことをしたら毛嫌いされそうなので・・・。
さて話は戻って、フットサルは今月13日から大阪でアジア選手権が開催される。ゴールデンウィークでイベント盛りだくさんなので、あまり話題にのぼっていないが、日本で開催されるのは今回が初めてで、日本代表は昨年のアジア選手権を制し、アジアナンバー1として連覇を目指すことになる。また日本国内では9月から「F.LEAGUE」という愛称で8チームによる全国リーグがスタートする。ここでの切磋琢磨で個々の選手がさらにレベルアップを図り、アジアでの地位の確立、そして世界で日本の名前を刻んでほしいところだ。
日本でのフットサルの歴史は携帯電話の普及と同じような軌跡を辿ってきた。90年代初頭はミニサッカーとして親しまれていたが、まだ競技として確立していたわけではなく、少人数で行う遊び的要素が大きかった。そして初めてフットサルの全国大会が開かれた96年頃から、各地の中心都市にフットサルコートが出来始め、徐々に競技として認識されるようになる。ただ当時はまだフットサル日本代表として元Jリーガーが選ばれていた時代。フットサルプレーヤーとしての地位を確立していた人はほとんどいなかった。そして2000年以降、スター選手の存在や強豪チームの台頭ではなく、コートの普及が競技人口の増加と認知度アップの牽引役となってきた。人工芝の上で少人数でボールを蹴れる手軽さがサッカー好きの若者や女性の心を掴んだのだろう。
そんな時代を生きてきた現日本代表の金山選手に、先日話を聞くことができた。体は華奢で身長は170cmに満たない。だが日本代表選手として数々の大会に出場し、日本の勝利に大きく貢献している。そんな一流選手でさえ、これまで厳しい競技生活を余儀なくされていた。99年に名古屋でフットサルチームを結成。しかしプロ選手ではないので自己管理を徹底し、もちろん会社に勤め生計を立てていなかくてはいけなかった。今年度からようやく全国リーグがスタートすることになったが、華やかなプロサッカー選手とは違い、いちアマチュアスポーツの域を脱していないと思っていい。
まだまだJリーグの足元にも及ばない存在だが、金山選手の視線はすでに世界を見据えている。数年前まではフィジカルの弱さを指摘されていた日本選手だが、今は逆にパワー的なフィジカルの強さではなく、俊敏性、スピードを武器に勝負していく方向へとシフトしている。99年に始まったAFCフットサル選手権大会では、2002年から4年連続2位にとどまっていたが、昨年、日本特有のスピードあふれるプレーを存分に発揮して念願のアジアチャンピオンに輝いた。「アジアチャンピオンだったイランもヨーロッパに入れば下の方。でも日本はスピードを生かせば立ち向かえるはず」と語気を強めていた。
多くの日本人が持ち飛躍的な発展を遂げてきた携帯電話のように、フットサルもその凝縮された面白みとハイプレッシャーの中で行われるスリリングな展開で、きっと着実な発展を遂げるはずだ。まだまだ世界との差はあるようだが、大阪で開催されるアジア選手権で注目を集め、好成績を残せたならば、フットサルの認知度も上がり、選手のレベルアップにもつながるだろう。
春の選抜高校野球で静岡県の常葉菊川高校が優勝した。
私は静岡出身で中学時代は野球部に所属していたので、この快挙がどれほどの価値があるかよくわかる。高校の強豪校と言えば、何十年も前から浜松商で、29年前の同校の選抜優勝を唯一の誇りとして記憶している人は多い。夏の甲子園では毎回のように2回戦か3回戦止まりで、ベスト8にまで行こうものなら、ちょっとみんなでツアーでも組もうか、なんて気分になる。比較的温暖な気候で友好的な県民性もあり、スポーツ分野におけるハングリー精神が生まれにくい土壌にあるため、若年層からヒエラルキー的に育成してきたサッカー並の期待を掛けてはいない。だからこそ、今回の優勝は正直意外だった。
常葉菊川は私の中学の近くではあるが、私立のため学年で2、3人程度しか入学していなかった(静岡は公立高校に行くのが一般的)。1人だけ強烈に記憶しているのは、打率5割近く打つ下級生が野球をやるために入学したことがある。すでに80年代後半には野球に力を入れていたのだろう。それでも全国優勝を目指すのは論外な目標で、せめて県ベスト4が関の山。当時は自校の認知度を上げることに主眼がおかれていたのは間違いない。
その常葉菊川が、高校野球の常識を覆すやり方で日本一に輝いた。それがバントをしない野球。
バント。それは日本人の美学に合致した野球戦術だ。自らは1塁でアウトとなる代わりに、味方を1つ進塁させる。それが直接得点となる場合があれば、チャンスを広げる役割も果たす。肉を切らせて骨を断つ精神であり、自らを殺して仲間を生かす犠牲の精神でもある。それゆえ堅実にバントを遂行する選手を「職人」として礼賛する風潮すらある。
バントはこれまで高校野球では代名詞的な扱いをされていた。1番バッターが出塁したら、2番バッターは確実にバントで送り、1アウト2塁とし、1打得点のチャンスというのが高校野球のセオリーだった。そんな犠牲バントを徹底することで、社会人として羽ばたく前に、組織の中で生きていく心得を学ばせる狙いも少なからず含まれているように思う。「バントができる選手こそすばらしいんだ」という声が夕暮れのグラウンドに響いているような気がしてならない。
それを無視したやり方は勝敗を度外視した博打的な野球に思えるが、常葉菊川の森下監督は独自の理論を語る。「バントの意識をなくすことで迷いなく打てる」。1球ごとにベンチを見てサインを確認することに神経を使わず、ヒッティング・オンリーという作戦の単純化で選手はバッティングに集中できた。その結果、常葉菊川のバッティングは冴えに冴えた。準決勝では最終回に3点を入れて6-4で逆転勝ちし、決勝も8回裏に2点を入れて6-5で逆転勝ちしている。バントをしないことは確実に塁を進める手堅い作戦とは真逆にある強攻策で、これが選手たちの積極性につながったと言えるだろう。他にも常葉菊川には敬遠はしないとか、良い球が来たら初球からでも打つなど、これまでの高校野球の常識を覆す戦術が多々あった。
そう言えば、今季のプロ野球、巨人では斬新な打順が話題を呼んでいる。それは高橋由を1番バッターに、谷を2番バッターに起用していることだ。これまでの野球の常識は、1番は出塁率が高い俊足のバッターで、2番は打率が多少低くても犠打を確実に遂行できる選手が入っていた。さらに1番も2番もともに選球眼が良く、際どいボールをカットしながら相手ピッチャーの投球数を増やす役割もあった。しかし高橋由、谷はどうだろう。ともにパンチ力のある強打者で、良い球が来たら初球からでもかっ飛ばすタイプの選手だ。半世紀以上にも及ぶ野球の統計学から言っても、この2人の打順は不適切だと非難されてもおかしくない。
しかし2人の調子はすこぶるいい。開幕戦の初球にいきなり高橋由はホームランを打ち、谷もヒットで続いた。この打順が奏功し、4月14日現在、セリーグのチーム打率で巨人は1位、順位も2位につけている。この旧来の野球観を覆す打順を目の当たりにした対戦したチームは、巨人への警戒感をより一層強め始めた。
野球の本場メジャーリーグでは数年前から野球観を変えるようなチームが現れ、すでにこれまでの常識を見直す動きが出ている。
メジャーリーグでは、多額の移籍金や年俸で話題となった松坂大輔のように、お金をかけて選手を補強するチームが基本的に上位に食い込んできた。成績の良い個の集積が勝利への近道と考えるのは自然な考え方だ。実際、ニューヨーク・ヤンキースは毎年100億円以上のお金を選手の年俸に充てており、頂点に立てなくてもそれなりの好成績を残してきた。しかし、そこにメジャーリーグの常識を覆すチームが現れた。
それがオークランド・アスレチックス。2002年、年俸総額でヤンキースの4分の1にあたる4000万ドルのアスレチックスが、103勝59敗でアメリカンリーグ西地区で優勝してしまった。さらに翌2003年、2006年も優勝を果たしている。西地区と言えば、イチローがいるシアトル・マリナーズも所属しているが、ご存知の通りここ数年一度も優勝していない。ちなみに2001年にアスレチックスは102勝を記録しているが、当時の平均年俸はなんとメジャー30チーム中29位だった。いったいどうしてこんな現象が起きたのか。
監督の手腕が素晴らしいからか、機動力が抜群によく出塁したらとにかく盗塁しまくるチームからか、鉄壁の守備を誇るからか、投手だけに力を注いでいるからか、球場に秘密があるからか・・・。どんな推測も当てはまらない。答えは特殊なデータ分析による選手のスカウティングにある。
アスレチックスはたとえばこんな選手をドラフトで獲得している。異様なフォームで他球団のスカウトたちが一笑に付したデイビッド・ベックという投手。彼の直球は135kmだったが、アスレチックスがドラフトで指名。獲得後、彼はルーキーリーグに登板して防御率1.00を記録。登板のたびに相手の打線を押さえ込み、ルーキーリーグのオールスター戦でクローザーに選ばれた。
また奇抜なフォームで142kmの直球しか投げられないカーク・サールースという投手。彼はマイナーリーグで着実に成績を残し、翌年メジャー入りを果たした。実は同じ年にドラフトでプロ入りした全選手の中でメジャー入り出来た選手はたった2人だけだったが、その一人がカーク・サールースだった。
他球団のスカウトマンから「足の遅い太った三塁手」と酷評されていたケビン・ユーキリスに関しては、抜群の選球眼でバリー・ボンズに次ぐ出塁率を記録した。
その影には伝説的なGMビリー・ビーンの存在があった。「野球経験のあるスカウトマンは自分の経験と照らし合わそうとし、目で見た内容を重視しすぎる。実は偏見と錯覚が多く含まれている」。そう感じたビリーは独自のデータ分析で選手を評価。打者であれば出塁率、投手であれば防御率を最重要ポイントにおいた。得点とバントの相関関係から、守備力がチームに及ぼす影響まで徹底的に数値化し、データ重視のスカウティングを行った。
元々潤沢な資金がないところからの出発だったため、知恵を絞った結果のスカウティング方法だったのかもしれないが、旧態依然の野球界にはびこる常識をもう一度見直し、新たな方向性を見い出したという意味でビリー・ビーンの功績は計り知れない。
常葉菊川といい、巨人といい、アスレチックスといい、野球界でいくつもの常識外れの思考で好成績を残している事実を知ると、サッカーに関しても大きな可能性を感じる。実際、昨年の冬の選手権大会で優勝した野洲高校のサッカーは、長年高校サッカーを見続けてきたものに衝撃を与えた。
高校サッカーと言えば、止める、蹴る、走るを正確にそして忠実にこなすイメージが強い。それは長きに渡り強豪校として君臨してきた国見高校のイメージと合致する。1日も休みなく練習し、毎日数キロをランニングし、週末はひたすら練習試合をこなす。その結果、強靭な肉体とともに礼儀正しい立派な一人の大人に成長していく。だが、野洲高校は違った。
山本桂司監督は元々レスリングの選手で、ドイツ留学時にサッカーに魅せられてコーチライセンスを取得した異色の経歴。そんな監督だからこそ、サッカーの枠に囚われない独自の理論を持つことができた。監督自らが「高校サッカーを変える」と公言し、“セクシーフットボール”を合言葉に、“魅せるサッカー”を目指した。基本中の基本であるインサイドパスやインステップキックのような読まれやすいキックは控え、ヒールパス、アウトサイドパスを多用。ボールタッチ一つひとつに絶妙な味付けを施すように指導し、ロングパスやパワープレーで勝ち切るサッカーを良しとしなかった。その結果、青木孝太や乾貴士ら独特のリズムを持った選手を輩出している。
近年のJリーグではどうか。各チームが目指すサッカーというのは実は非常に似通っている。前線からプレスを掛け奪ったら素早く前線へつなぐ、攻守の切り替えを素早く行う、サイドを有効に使うなど、点を取るための方程式はほぼ同じで、後は個の能力を考慮した人の配置と個のパワーが勝敗を決めている。ユニフォームを着替えさせ、顔にぼかしでも入れたら、どこのチームが試合をしているのか、判別できないかもしれない。
こんな時だからこそ、非常識なサッカーを見てみたい。1バックや4トップなどのシステム的な非常識でも、中央突破を最優先ポイントとしボールサイドに人を集中させる戦術的な非常識でも、ボールテクニックに長けた選手を優先的に並べる人材的な非常識でもいい。とにかく常識だと思われているところを徹底的に見直してほしい。きっとそこにチャンスが広がっているはずだ。
闘莉王をFWにして、巻をDFにするなんてことを、一度でいいから試してみたら、とつい思ってしまう。
今シーズンから横浜FCが昇格し、柏もJ1に復帰しているため、新たに2つのダービーが復活した。横浜ダービーと千葉ダービー。横浜ダービーは横浜フリューゲルスの消滅以来となるから、長いもので8年ぶりとなる。すでにこの横浜ダービー第1戦は終了していて、横浜FCが1-0の僅差で勝利している。守備的に入るという大方の予想を逆手に取った高木監督の見事な奇襲攻撃だった。第2戦は8月だが、今から楽しみだ。
さてこのダービー。Jリーグでは十数個のダービーが存在しているようだ。答えが曖昧なのは、どこまでをダービーとするか定義がはっきりしないからだ。主だったところでは、さいたまダービー(浦和、大宮)、静岡ダービー(磐田、清水)、大阪ダービー(G大阪、C大阪)、神奈川ダービー(横浜FM、川崎F)等々。同じ県や同じホームタウンに2チームあるところをダービーと呼ぶことが多い。その他では関西ダービー(神戸、G大阪)、九州ダービー(福岡、鳥栖)、四国ダービー(徳島、愛媛)、みちのくダービー(仙台、山形)、北関東ダービー(水戸、草津)と、同一地方名がつくかなり広範囲のものまでダービーと銘打っているところもある。面白いところでは「オレンジダービー」なんてネーミングでオレンジをチームカラーにしている清水、新潟、大宮が競い合っている。ここまでくると、ダービーという本来持っている殺伐としたイメージは吹っ飛んで、どこかコミカルにさえ聞こえる。
そんなコミカルなダービーは単なる盛り上げの一手に過ぎないが、Jリーグでも大いに白熱するダービーがある。さいたまダービーや静岡ダービーがそれだ。両軍の選手たちもダービーを意識したコメントを残し、新聞もこぞってそれを取り上げる。一昨年のさいたまダービーでは新聞紙面ではあったが、舌戦を繰り広げ、普段以上にアグレッシブな試合が繰り広げられた。
もちろんサポーターもそれに積極的に乗っているように思う。同じくさいたまダービーの話だが、埼玉スタジアムで行われた大宮ホームの試合。事前のチケットの売れ行きを考慮してクラブ側が2階席を閉鎖して運営した。しかし、その2階席の中央に大きな浦和の団幕が掲揚されていた。これに激怒した大宮サポーターは運営スタッフ・浦和サポーターと一触即発の緊迫した状況になった。筆者は大宮サポーターの団長に話しを聞きに行こうとサポータースタンドに行ったが、団長を探し回っている時に回りのサポーターに止められた。「今、会いに行ったらやばい」と。怒りの矛先を探している時に飛び込んでいったらどうなるか。ダービーに掛けるサポーターの思いを感じた瞬間だった。
日本でもこのさいたまダービーのような盛り上がりを見せるダービーがいくつか見られるようになったが、そもそも本来持っているダービーの性質とはどんなものだろうか。
ダービーの発祥地はもちろん母国・イングランド。19世紀、中部のダービーシャー州にある工業都市ダービーにて、聖ペテロ教会とオールセインツ教会の二つの教会区がフットボールで対戦したのが始まり。宗教的な話になるが、聖ペテロとはキリストに従った使徒たちのリーダーで、オールセインツとは文字通りすべての聖人を意味する。日本に伝来した仏教で言うところの、浄土宗の法然と日蓮宗の日蓮との違いか。また聖ペテロ教会の聖日は6月29日、オールセインツ教会の聖日は11月1日と教会区で休日が違っていたり、いくつか慣習も違っている。そんな中から意見の違いや小さな対立が生まれたとしてもおかしくはない。その小さな対抗意識がフットボールという競技に形を変えたというのが自然な考え方だろう。ただ、このフットボールは現在のサッカーとは異なり、街の中を数百人の男たちがボールを奪い合うもの。現代のサッカーとは違いお祭り的なものであるが、まさに街を二分しての争いだったようだ。
このようなフットボールはイングランド各地で行われていたが、ダービーでのものが特に有名だったことから、同じ街をホームタウンとする2つのチームが激しく争うゲームをダービーと呼ぶようになった。(ちなみに競馬で使うダービーはダービー伯爵が語源で直接の関係はない)。
その後、「ダービー」という言葉はヨーロッパ各地に次々と取り入れられるようになり、現在では数々の名物ダービーが存在している。たとえばイタリア・ミラノのACミランとインテルのミラノダービー、イングランド・マンチェスターのマンチェスターUとマンチェスターC、ロンドンのアーセナルとトットナムのノースロンドンダービー、スペイン・マドリードのレアル・マドリードとアトレチコ・マドリードのマドリードダービー、レアルマドリードとバルセロナのスペインダービー、中村俊輔所属でおなじみのスコットランドのセルティックとレンジャースのグラスゴーダービー、アルゼンチンのボカ・ジュニアーズとリーベルプレートのスーペルクラシコ等々、サッカーがあるところにはどこでも存在すると言っても過言ではない。
これらのダービーが生まれる理由にはその地域の歴史が大きく関係している。前出したミラノダービーのACミランとインテルはもともと一つのチームだったが、思想の違い、スタイルの違いから対立し、結局分裂したという過去がある。またグラスゴーダービーはセルティックがカトリック、レンジャースがプロテスタントという宗派の違いがある。レアル・マドリードとアトレチコ・マドリード、ボカ・ジュニアーズとリーベルプレートは何十年・何百年も前から存在する貧富の差・階級の違いがある。以上のような例だけではなく、人種の違いや言葉の違いから派生するものもあり、ダービーにはその地域の歴史的背景が色濃く反映されている。
翻って日本はどうだろう。さいたま市や静岡県に階級の違いはあるだろうか。宗教・思想の違いや人種・言葉の違いがあるだろうか。強烈なねたみや嫉妬を生むような貧富の差は存在するだろうか。多少の差異はあるだろうが、すべての答えはノーだろう。確かに戦国時代まで遡れば国同士のいがみ合いはあっただろう。しかし1600年以降、日本国内が戦乱の嵐となったことはなかった。2つの世界大戦を経ても、日本で内戦が起こるようなこともなかった。宗教観での対立もなく、日本には神道もあれば仏教もある。キリスト教だってイスラム教だって許容できる国民だ。日本の国内スポーツで欧州並のダービーマッチが勃発するような土壌はこれまでなかったはずだ。
最近、Jリーグのスタジアムで違和感を感じるのは、欧州スタイルを婉曲した形で取り入れてしまっている風景だ。全部が全部いけないわけではない。タオルマフラーを掲げ応援ソングを歌う。負けた試合では激しいブーイングをし、勝ったときには盛大なチャントが惜しみなく降り注がれる。それらは本場ヨーロッパよりも純朴でストレートに表現されているように思う。
ただ日本人が古来より重んじてきた礼節が失われている時がある。それはサポーターがテーマソングとし最も気持ちを込めて歌う応援ソングの合唱中にアウェイサポーターが妨害する行為だ。FC東京であれば「You’ll never walk alone」、新潟であれば「Can’t help falling love with you」、仙台であれば「Country road」を試合直前に合唱するのだが、その最中に太鼓をドンドン響かせて自チームのチャントを大声で叫び続ける。自分たちの存在を鼓舞する意図があるのだろうし、試合に臨む選手たちに勇気を与えようとする行為だというのもわかる。しかしだ。「You’ll never walk alone」も「Can’t help falling love with you」も「Country road」もどれもスローテンポの曲調で、スタジアムの雰囲気を作り上げるものだ。しかも、わずか試合前の数分間のみ。相手チームを尊重し、耳を塞ぐことぐらいは簡単なはずだ。
試合前の応援ソングは代表チームで言う国歌の意味合いに近い。日本国国歌がサポーターによって歌われている時間を考えて見てほしい。日本人として誇りを持っている人ならわかるはずだ。自分たちの代表選手が世界と堂々と渡り合う姿を願い、厳かな気持ちになっているのではないか。そしてきっと選手一人ひとりは多くのサポーターに支えられていることを改めて実感し、その思いを勇気に変えている時間だ。「国歌を聞いて身震いした」というコメントを過去何度選手から聞いたことか。
日本古来のスポーツでここまで礼儀を欠くスポーツがあるだろうか。柔道や剣道はどうだろう。どちらも礼で始まり礼で終わる慎み深い礼儀のスポーツだ。相手を挑発するどころか、喜びを爆発させることもめったにない。礼儀を学ぶ目的のためにスポーツを手段としているようなものだ。その最たるものは相撲だろう。勝っても負けてもポーカーフェイス。勝者は負けて土俵下に落ちた力士に手をさしのべ、敗者もその手を振り払うことはない。試合後でも力士は多くを語らず、言い訳もしない。
この敗者を尊重する姿勢、敗者が負けを潔く認める態度にプレミアリーグの名門アーセナルで指揮を執る名将ベンゲルはひどく感銘を受けたらしい。95年に来日しグランパスを指揮し、日本で多くのことを学んだベンゲルは今でも大の親日派として有名。異国の地・日本で礼儀のスポーツの数々に触れることができたからこそ、ゴシップネタ好きのイギリスであっても慎み深く相手を尊重する真摯な姿勢で人格者として認められているのだろう。世界最高峰のリーグで10年以上同じチームの指揮を執ることができているのは、その手腕だけが評価されているわけではないはずだ。
4月以降、Jリーグはダービーマッチが次々組まれている。ゴールデンウィークには、さいたまダービー、静岡ダービーら人気のカードが目白押しだ。大いに盛り上がってほしいものだが、その闘志を燃やす方向を修正してみてはどうだろう。今シーズン第2節の横浜ダービーが行われた三ツ沢球技場ではスタンドすべてが絵文字で埋め尽くされた。横浜FC側がスカイブルー、横浜FM側がトリコロールというようにバックスタンド中央できれいに二分されていた。それはダービー復活を祝うサポーターたちの喜びの絵文字だった。横浜ダービーを心待ちにしていたサポーターだけでなく、Jリーグを長く見続けていたファンたちを温かい気持ちにさせてくれた。元来いがみ合う風土を持ち合わせていない日本人なら、きっと礼儀をわきまえた独自の形で盛り上げる方法を見つけることはできるはずだ。そしてきっと日本人に合ったダービーマッチが誕生することだろう。