契りを交わした同い歳の友人が突然に亡くなった。20日の午後に奥様からスパイスに電話が入り、19日深夜12時06分、心臓発作から脳挫傷、享年56。静岡からの帰り「12時には帰るよ」の言葉を最後に駅で倒れたようだ。県立S高校からK大学、そしてK同広告へ。同広告代理店では将来有望視された幹部候補の優秀なAEだった!
彼を人づてにそう紹介された時、組織の理論に成程と納得する程の奴だった。
同社の双璧のクライアント、N楽器のキャンペーンなどガブリ四つで仕事をした仲だった。
通夜に行って懐かしい顔の連中と鎌倉の居酒屋でシャラと飲んで帰るのがどうしても嫌だので、出棺に立ち会うべく告別式に。大寒波の過ぎた青い空には海鳥が舞っている。
高校の同級生奥様との結婚式にも演奏したという友人とその愛娘さんのチェロ2重奏によるレット・イット・ビーが終わると、奥様の謝辞となる。
突然に逝った主人は、穏やかで、優しく、包容力あるヒトでした、そしてとても頭が良く、準備を怠らない彼の事だから、今は冥途に行く準備に忙しい事だと思いますと凌いだ。
出棺を済ませてやぼ用を果たしに海沿いに横須賀に向かう。旧なぎさホテルを過ぎ渚橋を渡り地元の漁師ならば決して船を出さない観天望気の富士山は圧巻だった。
様々な記憶が泳ぎ出した。スパイスをつくり3年目、まだ赤坂のマンションの一室の頃、N楽器のエレクトーン普及キャンペーンで全国イベントを実施していた。
PRからスタートしてキャンペーン全体を仕切る様に成り掛けた私と代理店のAEだった奴とは同歳もありほぼ毎日を共にしていた。夜の11時からスタートする打ち合わせ後は当然のごとく飲みまくる。
我が方のスタッフが仕出かした不始末、運営上のトラブル等など真っ当な事も真っ当でもない事も全て二人でクライアントに出向き謝った。思いばかりが募り先走る私を何度も奴は庇ってくれた。
33歳の二人は次々と新しいキャンペーンを仕掛けた。 飲み捲りながらに・・・電子ドラムの販路拡大がお題の仕事では、 私は当時多く出来始めたエアロビクススタジオを新たな販路とすべく、武蔵野音大の教授を担ぎ出し、<ドラムエクササイズ>なるフィットネスプログラムを作り上げた。 ターザンで編集タイアップ、業界紙Fジャーナルでの連載、当時旬だった恵比寿のビール工場跡地のイベント会場で華々しく発表会をやった。
リズムを刻み、電子ドラムを叩く事がフィットネス効果に繋がるの基調講演の後は、新進気鋭のエアロビクスインストラーが作り出したドラムエクササイズ・エアロビクスの発表、最後はビージーフォーのバンド演奏とパーテイ。会場を埋めるスタジオNAFAのエアロビクススクールの生徒さん達・・・・盟友のK広告マーケ氏と共に3人で勝手な数字を駆使してクライアントをインボイルブして・・・奴はAEとしていつも私を穏やかに優しく包容していてくれた。
やはりビール会社本社の地下にあったエアロビスタジオでは、このドラムエクササイズがプログラムとして採用され当然同電子ドラムの販売も・・・
会社を辞めると言い出した奴に私は反対の表明をした。将来の幹部役員候補なのだから・・と。3軒目で私の最後のセリフは「しょうがねえなあ」に代わっていた。いつも私は最後に「しょうがねえ」で次に向かう癖がある。
その後外資の広告代理店を経て、前の上司に請われて次の代理店に移った。競合ひしめくコンペを勝ち抜き受注したファーラムの大きなプロジェクトのサブリーダーとして1年に渡る大仕事は、業界でも話題になる赤字を出した。
受注産業でもある広告の世界を超えた自主興業の多いプログラム・赤字を出し続けて業務が終了して裁判沙汰にもなる勢いの精算と火消の作業を淡々と奴はやり遂げた。 過労がたたり上司は病に倒れ旅だった。
戦死と皆が言った。
真っ当な事も、真っ当でない事も全て引き受ける奴だった。 とても頭が良く、準備に怠らない奴だった。それに比べ・・いつもカリカリして、ヒトを攻め、ヒトを拒絶して、頭悪く、その場凌ぎばかりで・・思いが相変わらず先走るマリンドライブ。
チエロ2重奏の1曲めは奴の好きな、ロングアンドワインデイングロードだった。
しょがねえ!
LOVE&ピースだ! 合掌!
穏やかになる!誓う!大人として!
2013年12月25日 深夜 大石哲也
---大石ブログ 年間大賞は明日のココロだあーーーー
彼を人づてにそう紹介された時、組織の理論に成程と納得する程の奴だった。
同社の双璧のクライアント、N楽器のキャンペーンなどガブリ四つで仕事をした仲だった。
通夜に行って懐かしい顔の連中と鎌倉の居酒屋でシャラと飲んで帰るのがどうしても嫌だので、出棺に立ち会うべく告別式に。大寒波の過ぎた青い空には海鳥が舞っている。
高校の同級生奥様との結婚式にも演奏したという友人とその愛娘さんのチェロ2重奏によるレット・イット・ビーが終わると、奥様の謝辞となる。
突然に逝った主人は、穏やかで、優しく、包容力あるヒトでした、そしてとても頭が良く、準備を怠らない彼の事だから、今は冥途に行く準備に忙しい事だと思いますと凌いだ。
出棺を済ませてやぼ用を果たしに海沿いに横須賀に向かう。旧なぎさホテルを過ぎ渚橋を渡り地元の漁師ならば決して船を出さない観天望気の富士山は圧巻だった。
様々な記憶が泳ぎ出した。スパイスをつくり3年目、まだ赤坂のマンションの一室の頃、N楽器のエレクトーン普及キャンペーンで全国イベントを実施していた。
PRからスタートしてキャンペーン全体を仕切る様に成り掛けた私と代理店のAEだった奴とは同歳もありほぼ毎日を共にしていた。夜の11時からスタートする打ち合わせ後は当然のごとく飲みまくる。
我が方のスタッフが仕出かした不始末、運営上のトラブル等など真っ当な事も真っ当でもない事も全て二人でクライアントに出向き謝った。思いばかりが募り先走る私を何度も奴は庇ってくれた。
33歳の二人は次々と新しいキャンペーンを仕掛けた。 飲み捲りながらに・・・電子ドラムの販路拡大がお題の仕事では、 私は当時多く出来始めたエアロビクススタジオを新たな販路とすべく、武蔵野音大の教授を担ぎ出し、<ドラムエクササイズ>なるフィットネスプログラムを作り上げた。 ターザンで編集タイアップ、業界紙Fジャーナルでの連載、当時旬だった恵比寿のビール工場跡地のイベント会場で華々しく発表会をやった。
リズムを刻み、電子ドラムを叩く事がフィットネス効果に繋がるの基調講演の後は、新進気鋭のエアロビクスインストラーが作り出したドラムエクササイズ・エアロビクスの発表、最後はビージーフォーのバンド演奏とパーテイ。会場を埋めるスタジオNAFAのエアロビクススクールの生徒さん達・・・・盟友のK広告マーケ氏と共に3人で勝手な数字を駆使してクライアントをインボイルブして・・・奴はAEとしていつも私を穏やかに優しく包容していてくれた。
やはりビール会社本社の地下にあったエアロビスタジオでは、このドラムエクササイズがプログラムとして採用され当然同電子ドラムの販売も・・・
会社を辞めると言い出した奴に私は反対の表明をした。将来の幹部役員候補なのだから・・と。3軒目で私の最後のセリフは「しょうがねえなあ」に代わっていた。いつも私は最後に「しょうがねえ」で次に向かう癖がある。
その後外資の広告代理店を経て、前の上司に請われて次の代理店に移った。競合ひしめくコンペを勝ち抜き受注したファーラムの大きなプロジェクトのサブリーダーとして1年に渡る大仕事は、業界でも話題になる赤字を出した。
受注産業でもある広告の世界を超えた自主興業の多いプログラム・赤字を出し続けて業務が終了して裁判沙汰にもなる勢いの精算と火消の作業を淡々と奴はやり遂げた。 過労がたたり上司は病に倒れ旅だった。
戦死と皆が言った。
真っ当な事も、真っ当でない事も全て引き受ける奴だった。 とても頭が良く、準備に怠らない奴だった。それに比べ・・いつもカリカリして、ヒトを攻め、ヒトを拒絶して、頭悪く、その場凌ぎばかりで・・思いが相変わらず先走るマリンドライブ。
チエロ2重奏の1曲めは奴の好きな、ロングアンドワインデイングロードだった。
しょがねえ!
LOVE&ピースだ! 合掌!
穏やかになる!誓う!大人として!
2013年12月25日 深夜 大石哲也
---大石ブログ 年間大賞は明日のココロだあーーーー
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