オシム監督が今日、急性期脳梗塞で倒れ、病院に搬送された。奇しくも10年前の今日11月16日、ジョホールバルで日本代表は初めてワールドカップ出場を決めた。日本中が涙したその歴史的日に今年、川淵三郎キャプテンを初め多くのファンが悲しみの涙を流した。かくいう私も涙があふれた。Jリーグ開幕以降の代表監督でオシム監督を最も敬愛し、多大なる期待を寄せていただけに、この緊急事態を聞き、全身に電流が走ったような衝撃を受けた。
偶然にも私はこの会見に出席していた。今日の会見はまったく予定に入っていなかった。14:30。所用でJFAハウス内のグッズショップに行った。そのついでにメディアルームに立ち寄る予定だった。去年までは週1で訪れていたが、JFAハウス内に入るのは実に7ヶ月ぶりだ。
入口に入ると見慣れたJFAのスタッフから「こちらに記帳してください」と声を掛けられ、記者会見があることを初めて知った。せっかく来たのだからと思い、名前を書いて記者会見場に入った。
ただその記者会見は来月行われるクラブワールドカップの概要について。15:00よりFIFAのオフィサーを初め、川淵キャプテン、小倉FIFA理事、レッズ藤口社長、オジェック監督、山田暢久選手が出席していた。出場チームの紹介と今大会から導入される「ゴールラインテクノロジー」の説明、そしてレッズへの表彰が主な内容だった。時間にして45分ぐらいか。
会見が終了し、会場の外に出てプレスカードを置こうとすると、JFAのスタッフからニュースリリースを渡され、そのまま上階の会見場に行くよう指示された。そのリリースの表題には「緊急記者会見を開催」と書かれていて、急いでコピーしたのか、上部の文字がA4用紙からはみ出していた。
時間は16:30より、出席者は川淵キャプテンと田島専務理事の2人。しかし内容は一切書かれていない。しかも会見場のひな壇の後ろには代表関連のスポンサーボードも置いていない。ただならぬ雰囲気を誰しも感じ取っていた。いったい何があったのか。根拠のない憶測が飛んでいた。報道陣がそわそわし始めている。会見スタートが17:00に伸びた。尋常ではない胸騒ぎがした。
すると何人かの記者があわてて携帯電話を鳴らし始めた。「脳梗塞で倒れたらしい」「病院に搬送された」「カメラをそっちへまわせ」。鬼気迫る勢いで掛けまくっている。一体誰が倒れたんだ!? 近くの記者に慌てて聞いた。「オシムさんが倒れたらしい」。耳を疑った。ACL決勝で元気な姿を見せていたはずだ。顔色も良かった。倒れたなんて、そんなはずはない。私も震える手で次の約束相手に電話した。落ち着いて話すつもりだったが、声がうわずっているのが、自分でもわかった。「オシムさんが倒れたらしいから、打ち合わせの時間を30分遅らせてほしい」。それだけ言って席に戻った。すぐに川淵さんが現れた。
16:50。予定より早く始まった。「残念なお知らせがあります」。ここで川淵さんは絶句した。ことの重大性を初めて認識した。もう望みは消えたのか。震える声で続けた。「オシム監督が本日2時、自宅でプレミアリーグを見た後、二階に上がる時に倒れ、病院に搬送されました。急性期脳梗塞と診断されました。現在のところ、症状は不安定です」。カメラのシャッター音がやけに大きく聞こえた。そして「オシム監督に是非治ってほしい」と続けると、川淵さんは唇を振るわせ、涙が溢れた。「命を取り留めてほしい・・・、と願っています」。この言葉で私のペンの筆圧も上がっていた。サッカーの取材を始めて10年になるが、書き取っている途中で涙することなど初めてだった。
オシム監督はユーゴスラビア紛争で深い悲しみを心に負っている。代表監督を辞し、無惨な殺し合いに抗議の姿勢を見せた。しかし悲劇は何年も続き家族を紛争のど真ん中に置き去りにしてしまった。「私には負債がある」。多くの人たちを助けられなかった無力感を感じ、その責任を背負い込んでいた。
その紛争も終わりを告げ、ようやく政治的圧力がなく、純粋にサッカーが打ち込める安住の地を見つけた。思う存分、自分でチームを作り上げる土壌が日本にはあった。時折見せるユーモアたっぷりの笑顔はきっと心からの幸福感から出てくるものだと思っていた。彼の過去を知る者は誰しもあの笑顔に幸せを感じることができたはずだ。
会見からの帰り。既知の記者とは無言が続いた。新監督をあれこれ予想する気なんてさらさら起こらなかった。自分にできることは何なのか。きっと隣に座る記者も自問自答していたことだろう。今できることは祈ることだけなのか。U-22代表が勝つことでオシム監督を勇気づけるとか、恩に報いるために勝つとか、そんな目に見える美談はいらない。そんなものは自分たちの力で勝ち取ればいいのだ。
「オシム監督、まだあなたがやるべきことは沢山残っています。そしてあなたを必要とする人が沢山います。あなたはまだ道の途中にいるのです」
あたなはまだ生き続けなければならないのです。
コメント